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イタリア・スイス

1997年5月13日(火) 期待と不安の旅立ち。遙か異国で待ち受けていたのは...

・前日より妻の実家に泊る。5:30に起床。朝食をとり、支度をしてJRの最寄の駅へ向かう。 ・7:02の電車に乗り、JR尼崎駅へ行く。 ・7:30発の空港行きリムジンバスに乗り、8:35に関西国際空港に着く(結構、渋滞していた)。 ・搭乗手続きの後、円をリラに両替する(\100,000→L1,130,000)。 ・空港利用税を支払い、出国審査後、免税店でたばこ2カートンとおみやげ用のアイシャドー、香水(シャネルNo19)を買う。 ・10:30、飛行機(アリタリア航空AZ791)に搭乗、11:15予定時刻通り出発。 ・現地時間17:20にイタリア・ミラノ・リナーテ空港に到着。 ・同機で18:25にイタリア・ミラノ・リナーテ空港を飛び立ち、19:30にローマ・フィウミチーノ (レオナルド・ダ・ヴィンチ)空港に到着。 ・入国審査の後、荷物を受け取り、税関を通ってイタリアへ入国する。 ・ホテルまでタクシーで移動する。途中、ガイドブックに 記載されているとおり、きちんとタクシー乗り場からTaxiと表記された車に乗車したのに、ガソリンスタンドで1リットルだけ給油するような怪しげなタクシーだった。料金も通常よりも高く感じた(チップ込みでL120,000)。 ・ホテル(HOTEL SAVOY)にチェックイン。ポータにチップを渡す(小銭がなく、タクシーの件で動揺していたのか L10,000 もあげてしまう)。

無事にイタリアに行き着くことができたが、ミステイクも少々あり、少し疲れた一日でした。総歩数は4159歩。

1997年5月14日(水)

期待と不安の旅立ち。遙か異国で待ち受けていたのは... ローマの楽しみは観光だけじゃない。騙されるのもおもしろい。

・6:00に起床(時差ぼけで、実際は4:00頃から目は醒めていた)。朝食をとり、8:00にホテルを出る。 ・歩いて「スペイン広場」へ行き、「コンドッティ通り」、「コンチリアツィオーネ通り」をぬけ、 「サンピエトロ広場」に行くが、宗教行事のために中には入場できなかった。 ・しかたなく、「ヴァチカン博物館」に行く。Cコース(3時間見学コース)を1時間半で駆け抜ける。 ・博物館を出た後、のどが渇いたので博物館出入口前の露店でミネラルウォーターをL10,000で買う。後で知ったが、ミネラルウォーターの市価はL1,000だった! ・「サンタンジェロ城」へ行く。 ・「カッパ・ドーロ」という小さなお店でランチをとる。トマトソーススパゲッティ、ポークソティとサラダ、ドルチェの定食に水とビール2本とカプチーノ2杯でL66,000(+チップL5,000)。 ・「カッパ・ドーロ」の隣の革製品店「マキシム」で鞄を買う。 ・ローマは非常に信号が少ない。そのため道で立ち往生することが度々あったが、この日は親切な女性(おばちゃん)が横断の先導をしてくれた。おばちゃん曰く、コツは強引とのこと。危ない! ・サンピエトロ広場横の露店で絵はがきを8枚買う。 ・「サンピエトロ大聖堂」内を見学(ドームには登らなかったので無料)。 ・「コンチリアツィオーネ通り」、「コンドッティ通り」、「ベネト通り」をぬけ、ホテルに戻る(15:00)。 ・明日の準備をする。アリタリア航空にリコンファームの電話をするが失敗(旅行代理店が示した電話番号が間違っていた。正しい方の電話番号でかけ直したが、Busyで通じなかった)。レストラン「オスタリア・デ・ロルソ」に電話をかけ、明日のディナーの予約をする。 ・雑貨屋へ行き、おみやげを買いに行くが、いいのがないので、ミネラルウォーターを3本買う。 ・18:00に正装してメトロポールホテルへ行く。オプション・ツアーのカンツォーネ・ディナーだ。トラステヴェレのレストラン(元劇場)[前菜・パスタ・かじきまぐろのステーキ・ワインは飲み放題]。カンツォーネショーに出演していたスキンヘッドのおじさんがおもしろかった。ガイドの名前は「ミーコ」といい、イタリア人と日本人(母)とのハーフで22歳、歯科大学に在学中のアルバイターとのことらしい。11:00にホテルに戻る。 ・ホテルについてからYシャツの胸ポケットに入れていたL100,000札を無くしていることに気づく(すられたか?)。失意の内、12:00前頃寝る。

今は笑って話せるが、その日の夜は本当に悔しくて、がっかりしたのを覚えています。一日の総歩数は34772歩でした。

1997年5月15日(木) 華やぐ観光地、しかし内心はビクビク。

・6:30に起床(どうした訳か今日は妻が4:00から起きてた)。朝食をとり、8:00にホテルを出る。 ・歩いて「テルミニ駅」へ行き、フィレンツェ行きの電車(ETR)の乗車券を買う(L138,000)。1時頃の電車がいっぱいだったので、結局、17:05発の電車となる。切符を買う順番待ちの際、ジプシーの子供の「マネー攻撃」を受け、妻は非常にビビってしまった。 ・アリタリア航空へ行き、リコンファームを済ませ、「バルベリーニ広場」から地下鉄(メトロ)に乗り、「チルコ・マッシモ」へ行く。車内で“勝手に演奏屋さん”に出会うが、お金は払わないですんだ。 ・「チルコ・マッシモ」を見ながら、歩いて「サンタ・マリア・コスメディン教会」へ行き、中を見学(無料)。「真実の口」を見る。 ・さらに歩いて「ボッカ・デラ・ヴェリタ広場」を横切り、「マルチェロ劇場」を見て、「カンピドリオ広場」へ行き、広場の上から「フォロ・ロマーノ」を見る。 ・「フォリ・インペリア通り」を歩いて「コロッセオ」へ行き、中を見学。「コロッセオ」内から「コンスタンチヌスの凱旋門」を見る。 ・「オスタリア・デ・ネローネ」というレストランにランチを食べにいくために、12:00になる前に「コロッセオ」を出るが、店の場所がわからなかったため、結局「ラ・カルボラーナ」へ行くことにする。 ・「フォロ・アウグスト」、「フォロ・チェザレ」、「フォロ・トライアーノ」を見る。 ・「ヴェネッツィア広場」でしばし休憩。 女の乞食が道端でおしっこをしていた。 ・「ヴェネッツィア宮殿」、「ヴィットリオ・エマヌエレ2世記念堂」、「サンタンドレア教会」を見る。 ・くたくたになりながら「ラ・カルボラーナ」で遅いランチ。カルボラーナ・ペンネ、リコッタチーズのラビオリを食べる。 ・レストランの前は「カンボ・ディ・フィオーリ広場」というところで、市場が開いていた。 ・「ナヴォーナ広場」へ行き、15:00にホテルに戻る。 ・フィレンツェのレストラン「サバティーニ」に妻が予約の電話をする(予約がとれたのには驚いた)。疲れたので昼寝をする。 ・20:00、「オスタリア・デ・ロルソ」でディナー。生ハムとメロン、パスタ (トマトとベーコンのショートパスタ・オリジナルカルボラーナ)、肉(サーロインステーキ・ビーフステーキ)、ドルチェ(ミルクコッコ、チョコムース)+水+ワイン+カフェでL286,000(+チップL50,000)。一流と聞いてやって来たが、おいしくなく量がやたら多い。値段も高い! ・ホテルに戻り、明日の準備をして、風呂に入って就寝する。 私は大阪の新世界周辺を知っているのでまだましだが、妻はカルチャーショックをうけたようだった。確かに名所旧跡と乞食のコラボは異様な取り合わせだが・・・。一日の総歩数は25664歩でした。

1997年5月16日(金) 悪魔の巣窟を脱出。花の都フィレンツェへ。 ・起床後、すぐに朝食。チェックアウトをすまし、荷物を預けて8:00にホテルを出る。 ・出しなに絵はがきの郵送をホテルに頼むが切手がなく拒否される。 ・「骸骨寺」、「ハチの噴水」を見て「バルベリーニ広場」へ行く。「バルベリーニ広場」前のタバッキで切手を買い、絵はがきをポストインする。 ・「トレヴィの泉」、「コロンナ広場」、「パンテオン」を見て、ガリバルディ橋へ行く。橋から「ティベリーナ島」を望み、「サン・シコマート広場」へ向かう。「サン・シコマート広場」の朝市でアメリカンチェリーを買う(これはうかかった)。 ・「サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会」へ行く。 ・「共和国広場」横の「ローマ・三越」へ行く(途中、ヴェネッツイア広場で休憩)。おみやげ(エプロンとベルト)を買う。 ・12:00、「イル・カルパッチオ」でランチ。スパゲッティ・ボンゴレ、鮭とキャビアのスパゲッティ、それに水とカプチーノでL61,000(+チップL6,000)。隣の「ナッツィオーニ」でピッツァを食べるつもりが、妻がここの店員に引っ張りこまれてしまった。 ・「コンドッティ通り」の「プラダ」で財布(みやげ)を、「Mario de Fiori, 76」で鞄を、「Cameo Center Agostino」でカメオを買う。 ・ホテルに戻り荷物を受け取り、タクシーでテルミニ駅へ行く(チップ込みでL22,000)。 ・17:05発のフィレンツェ行きの電車が約50分ほど遅れる(日常茶飯事らしい)。 ・17:55に電車はローマ、「テルミニ駅」を出発し、約2時間でフィレンツェ、「サンタ・マリア・ノッヴェッラ駅」に着く。 ・「サンタ・マリア・ノッヴェッラ駅」でヴェネツィア行きの電車の切符を購入する。後で気づくことになるが、ETRの切符売り場を間違えて、普通乗車券のみを購入していた。えらい安いとは思っていたんだけど・・・。 ・徒歩でホテル「HOTEL ADRIATICO」へ行く。20:30頃到着。チェックイン後、レストランに予約時間変更の電話をする(20:00→21:30)。 ・21:30、レストラン「サバティーニ」でディナー。レストランへ行く途中 「サンタ・マリア・ノヴェッラ教会」を見る。食事は生ハムとメロン・ミネストローネ、クレープ包みのパスタ・サーモンのパスタ、Tボーンステーキ・舌ひらめのムニエル、テラミス+水+ワイン(キャンティ・クラシッコ)+カフェでL309,000(+チップL30,000)。予約した時刻に遅れたのに店員は親切だし、料理は最高にうまいし!ここで食べたTボーンステーキは一生忘れないだろう。 ・ホテルに戻り、明日の準備をして風呂に入って寝る。 なんかドタバタした一日でしたが、最後に最高のディナーに出会えて良かったです。一日の総歩数は13992歩でした。ただ、万歩計の調子がおかしいみたい。

1997年5月17日(土) すばらしき花の都。しかし、安堵の先に大きな罠が。 ・起床・朝食。チェックアウトをすまし、ホテルに荷物を預けて7:30に出発。川沿いを歩き、「カライア橋」、「サンタ・トリニタ橋」、「ヴェッキオ橋」を見て 「ウフィツィ美術館」へ行く。「ウフィツィ美術館」見学後、「シニョーリア広場」を横切り「ヴェッキオ宮殿」を見て、「サンタ・クローチェ教会」へ行く。 ・「ヴィーボリー」でジェラードを食べ、「ドゥオモ」へ行き、「ジヨットの鐘楼」に登る。 ・「洗礼堂」の「天国の門」を見る。「ジヨットの鐘楼」前のお店で靴を、「バルジェッロ美術館」前のスーパーでおみやげ用の食材(バルサミコ・パスタ)を買う。 ・12:00、「イエロー」でランチ。ピッツァカルツォーネ、ピッツァカプリチョーザと水とビールでL34,160(+チップL3,000)。 ・ホテルに戻り、荷物を受け取り、徒歩で駅へ行く。 ・フィレンツェからボローニャへ行き、電車を乗り換えてヴェネツィアへ行くつもりが、 間違えてボルゴ行きの電車に乗ってしまう。そのため、ボルゴからファエンツァ行きの電車に乗り、さらにファエンツァからボローニャ行きの電車に乗らなければならなくなる。罰金と延長距離料金(L23,500)をとられる。3時間でヴェネツィアに着く予定であったが、実際は5時間近くかかった。そのため、ヴェネツィアでゴンドラに乗れなくなった。電車を間違えたことがわかった時、たいへんあせったが親切な女性(20歳前後の学生か?) のおかげでなんとかきり抜けることができた。感謝、感謝である。 ・19:30頃、ヴェネツィアの「サンタルチア駅」に到着。駅構内でコーラとファンタを飲む。 ・ヴァポレット(水上バス)で「サンザッカリア」へ行くつもりが、「サンマルコ」行き(1駅前)だった ので、そこで下船しホテルまで徒歩で移動する。途中、橋が4つもあり荷物を運ぶのに難儀した。 ・船上からいくつか建造物をみたが、何が何かよくわからない。わかったのは、魚市場、「リアルト橋」と「アカデミア美術館」、「サンタ・マリア・デラ・サルーテ教会」くらい。乗るはずだったゴンドラが多数運河を行き来していたが、我々はただただ華やぐ光景を恨めしく眺めていた。 ・21:00頃やっとホテル「METROPOLE VENEZIA」に到着。チェックインの後、モーニングコール、チェックアウト時間、水上タクシーの手配等の打ち合わせをコンシェルジュと行う。 ・到着が非常に遅れたのでコンシェルジュが非常に心配してくれた。名前を告げたときには抱きかかえて無事を喜んでくれた。 ・ホテルのレストランでディナー(時間が遅いのと予約をしていなかったのでホテル側にお願いした)。ビッフェスタイル。いかすみのリゾットが美味。ワインは「ソアーヴェ」。 ・ホテルで円をリラに両替する(2度目)。食事の後、「サンマルコ広場」を散歩。とあるレストランのテラスでカンツォーネショーが行われていた。安心したからか、酔いが早く、夫婦して広場で踊る始末。道行く人たちに笑われた。その後ホテルに戻り、明日の準備をして風呂に入って寝る。 電車の件は本当に困った。親切な人に出会えて良かったです。万歩計が壊れたので一日の総歩数は分かりません。

1997年5月18日(日) 楽しみにしていた水の都はただの通過点に、必ずまた来るぞと思いながらイタリアを去る。 ・4:00にモーニングコールで起床。チェックアウトをすませる。 ・5:00、水上タクシーで「サンマルコ空港」へ行く(チップ込みでL150,000、前日、ホテルのコンシェルジュ は現金でL130,000かかるといっていたが、タクシーの運ちゃんはL140,000も請求してきたので、腹いせにL150,000払ってやる)。 ・搭乗手続をすまし荷物を預け、6:55発のアリタリア航空AZ1456便でミラノの「リナーテ空港」へ行く。7:40に到着。 ・空港内で朝食(サンドイッチ)。出国審査の後、免税店へ行く。フィレンツェの「サバティーニ」で飲んだワイン(RUFFINO RISERVA DUCALE)があったので思わず購入(日本でも購入できるようになったのでよく飲みます)。妻は、おみやげ用のフェラガモの髪止めと自分用のグッチのポシェットを買う。カードで支払おうとするが使用できない(?)といわれたので現金で支払う。いきなり手持ちのお金(リラ)がなくなり、買い物をする気力が無くなる。 ・11:10アリタリア航空AZ580便でイタリア・ミラノ・リナーテ空港を出発。12:30にスイス・ジュネーブ・コワントラン空港に到着。飛行機がジェット機ではなくプロペラ機で非常に危なげだった。乗客も数人だった。離着陸時に見せるスッチーの緊張した表情が、我々を非常に不安にさせた。 ・入国審査の後、荷物を受け取り、円とリラをスイスフランに両替する。税関をぬけ、スイスにめでたく入国。 ・空港からタクシーでホテルへ(チップ込みでSF32)。 ・13:00、ホテル(HOTEL WARWICK)に到着。すぐに昼寝。 ・昼寝の後、散歩に出かける。絵はがきを買い(SF7)、レマン湖畔の露店でみやげ (キーホルダー、カウベルなど)を買う。ホテルに戻り、絵はがきを書く。 ・19:00、「エーデルワイス」でディナー。ホテルを出る時、絵はがきを出す(SF10)。食事は、前菜、ミートフォンデュ、デザート+ワインでSF148。チップに日本のお札で\1,000支払う。フォルクローレショーがあり、妻が多くのお客さんの前でアルペンホルンを見事に吹いてみせた。客の中で吹けたので妻だけだったので、妻はご満悦。実は、妻は学生時代、吹奏楽部だった。ここの食事も最高に良かった。 ・21:00、ホテルに戻り、明日の準備をして風呂に入って寝る。

飛行機は本当に怖かった。妻はいい思い出ができたみたい。

1997年5月19日(月) そこは、季節も光景も異なっていた。山のすばらしさを実感した一瞬。

・起床・朝食。ホテルでしばし待機。 ・8:00、「モンブラン観光」に出発(マイバスのオプションツアー)。バスでフランス領に入り、「シャモニー」へ。ガイドは飯島さんという名前のスイス在住6年の女性。シャモニーの街に着き、ロープウェイを2本乗り継ぎ、エギュー・デュ・ミディ展望台へ(標高は富士山よりも70mほど高い)。展望台のカフェでビールとコーヒーを買う(SF38、妻は愚かにもフランスフラン表示分をスイスフランで取られる。レートが約4倍なので大損する。)。約1時間ほど展望台で過ごした後、再び地上に戻る。その後、食事をとり、ガイドさんの案内でシャモニーの街を見学。まず、おみやげ屋に行きおみやげを買い(チョコレート、カウベルなど)、「サンミッシェル教会」、「市庁舎」等を見てまわる。バスでジュネーブに戻る(15:00)。 ・ホテルで一休みした後、ジュネーブの街中へ。明日のレマン湖クルージングに備えて時刻表をチェック。買い忘れたおみやげを買う。今日は祭日(キリスト昇天祭)なのでほとんどのお店がお休み。そこで明日のショッピングのために店々の下見をする。 ・ホテルに戻り、一休み後、ディナーへ。「オーベル・ジュ・ド・ザヴィエール」へ行くが、休みだったのでベルグホテル1Fの「パビヨン」へ行く。ニョッキ・サーモンカルパッチョ、 ステーキ、デザート+ワイン+コーヒーでSF111.5。チップSF10支払う。 ・ホテルに戻り、明日の準備をして風呂に入って寝る。

アルプスの山々は神々しく、美しく、本当に最高でした。

1997年5月20日(火) 動のイタリアに対して静のスイス。国際都市ジュネーブも美しかった(一部を除いて)。

・起床・朝食。ホテルを出て、歩いて「英国公園」へ。「花時計」を見る。 ・「サンピエール寺院」へ行く。 ・「ジュネーブ大学」へ行くが、途中雨が降り出したのでホテルに傘を取りに帰る。メイドさんがベッドメーキングしている最中だった。 ・再び「ジュネーブ大学」へ(あーしんど)。 ・校内の公園で一休み。「宗教改革記念碑」を見る。 ・旧市街を歩いている最中、犬のウンチを踏む。スイスは犬の糞が多い。そこらじゅうにある。 ・おみやげ屋「ルース・ド・ベルン」に行き、スイス刺繍の花瓶敷き、アーミーナイフ、壁掛けなどを買う。 ・「ル・マゾ」でランチ。ラクレットとスパゲティを食べる。 ・「レマン湖クルージング」。約1時間で周航。雨と大噴水のため、窓が濡れて景色が見にくかったが良かった。 ・百貨店「オー・ブラン・パサージュ」へみやげを買いに行く(スカーフ9枚とワイン2本)。 ・「ステッドラー」でパヴェチョコを3箱買う。このチョコは雅子さまが皇太子にプレゼントされたもの。店内に日本の新聞のその時の記事の切り抜きが貼られていた。 ・ホテルに戻り、コンシェルジュと相談してモーニングコール時間、チェックアウト時間、タクシーの手配等を決める。 ・疲れたので昼寝をする。 ・ディナーは「オーベル・ジュ・ド・ザヴィエール」。サラダ・肉のカルパッチョ、チーズフォンデュ+ワイン+デザートでSF117.7。チップSF10支払う。 ・ホテルに戻り、バーでワインとカクテルを楽しむ。 ・明日の準備をして風呂に入って寝る。

イタリアはせわしなかったが、スイスはのんびりと時を過ごすことができました。

1997年5月21日(水) 思い出を胸にいざ帰国。やっぱり日本が一番いいや。

・5:00にモーニングコールで起床。チェックアウトをすませる。 ・タクシーで「コワントラン空港」へ(チップ込みでSF37)。 ・搭乗手続後荷物を預け、出国審査を終え、アリタリア航空AZ529便に乗る。 ・7:30出発。8:55、イタリア・ローマ・フィウミチーノ(レオナルド・ダ・ヴィンチ)空港に着く。 ・トランジットの間に免税店でみやげを買う。チョコレート類にキーホルダー、絵画、ポケットチーフ、 ワイン、パスタ、オリーブオイル等を買う。 ・10:45、イタリア・ローマ・フィウミチーノ(レオナルド・ダ・ヴィンチ)空港をアリタリア航空AZ790便で出発。イタリア・ミラノ・リナーテ空港に12:10に着く。 ・同便で13:00にイタリア・ミラノ・リナーテ空港を出発。日本(大阪・関西国際空港)には翌日(5/22) の8:20に着く。行きは禁煙席だったが、帰りは喫煙席にした。 ・空港で残金(お札)を両替する。 ・9:30発のバスで家の近くの駅まで行く。 ・駅前バス乗り場からタクシーで家に帰る。到着は12:00頃だった。

家に着いたときは「やっと帰ってきた」って感じ。しばらくは、また行きたいとは思わなかったが、数年も経つと、もう一度訪れたい気持ちが高まっています。

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